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2024年度第2回研究会(1/11)「民衆蜂起をめぐる主体と構造」へのおさそい

2025年1月11日(土)、アジア民衆史研究会2024年度第2回研究会を開催いたします。 会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 テーマ「民衆蜂起をめぐる主体と構造」 概要 日にち:2025年1月11日(土) 時間:13:00~17:30 場所: 早稲田大学早稲田キャンパス3号館 709教室・オンライン(Zoom) 主催:アジア民衆史研究会 報告 衛藤安奈「中国国民革命期の都市労働者層における流動性と団体性、およびその政治的意義」 藤田貴士「大争議における労働者の意識と行動──1921年三菱・川崎造船所争議を事例として──」 タイムスケジュール 13:00 開会挨拶、注意事項の説明 13:10 第一報告(衛藤安奈氏) 14:30 第二報告(藤田貴士氏) 15:50 総合討論 参加費(レジュメ代) 会場参加:500円 オンライン参加:無料 申込方法 申込にはGoogleフォームを使用します。参加を希望される方は、下記URLをクリックし、Googleフォームにメールアドレス等をご登録ください。どなたでもご参加いただけます。 https://forms.gle/HNKr1a7vnmtAaSnA7 2025年1月10日(金)17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 申込は1月9日(木)までにお済ませください。 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。   趣旨文「民衆蜂起をめぐる主体と構造」 社会のなかに生きるさまざまな民衆を、歴史の主体としてどのように捉えればよいだろうか。民衆史研究は、かつての階級闘争史や人民闘争史とは異なり、民衆的主体の意義やそれが孕む問題を自己点検的に検証した。その代表例が、民衆思想史と呼ばれる研究潮流であり、アプリオリに措定された日本民衆という主体に対し、女性や沖縄、被差別部落などの観点から再考を試みた。し...

2022年度第2回研究会(1/22)「東アジア近代における民衆暴力の諸相」へのおさそい

アジア民衆史研究会2022年度第2回研究会「東アジア近代における民衆暴力の諸相」を会場・オンラインのハイブリットで開催します。 概要 日にち:2022年1月22日(日) 時間:13:00開始 場所: 早稲田大学戸山キャンパス33号館 3階第1会議室(Zoomを併用したハイブリッド形式) 報告者(タイトルは仮)  吉澤誠一郎「中国近現代史研究と民衆暴力」 小川原宏幸「植民地朝鮮の地域秩序再編と民衆暴力のゆくえー醴泉事件を焦点に」 中嶋久人「戦後社会運動において暴力はどのように描かれたかー「極左冒険主義」を中心に」 スケジュール 開会・注意事項の説明 吉澤報告 小川原報告 中嶋報告 総合討論 閉会 参加費(レジュメ代) 会場参加:300円 オンライン参加:無料 申し込み方法 参加を希望される方は、 Googleフォームにメールアドレス等の必要事項をご登録 ください。  2023年1月21日17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 申込は前々日1月20日(金)までにお済ませください。 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 会場となる早稲田大学の感染防止対策を遵守 するよう、お願いいたします。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。 趣旨文「東アジア近代における民衆暴力の諸相」 現在進行中のロシア・ウクライナ危機は、戦争という強力な国家暴力を世界に見せつけている。その影響は当事国のみに止まらず、義憤に駆り立てられて戦場に身を投じる人がいるいっぽう、報道映像に接しただけで心的外傷を受ける人もいるなど、この暴力をめぐって様々な反応が起きている。日本においては、これまでの原則に反する軍拡の議論も加速している。私たちに、改めて暴力との向き合い方を問いかけた出来事であると言えよう。もっとも、暴力の問題は戦争のようなあからさまな事例に限られるものではない。黒人...

2021年度総会・第1回研究会(合評・趙景達『近代朝鮮の政治文化と民衆運動』)のご案内

 アジア民衆史研究会2021年度総会、および第1回研究会を下記の要領で開催いたします。 概要 日にち:2021年8月21日(土) 時間: 会員の方にご参加いただける 総会 は 11:00~12:00 どなたでもご参加いただける 研究会 は 13:00~17:55 場所:オンライン開催( Zoom を使用します) 主催:アジア民衆史研究会 総会 主な議題 2020年度活動報告および2021年度活動計画 2020年度会計決算および2021年度会計予算 申込み方法 会員のみなさま宛に直接、参加方法をご案内いたします。 研究会 テーマ 書評会  趙景達『近代朝鮮の政治文化と民衆運動』(有志舎、2020年) 趣旨文  朝鮮近代史を主なフィールドとして、東アジア史の全体構造と、民衆史の方法を問い続けた趙景達氏が、昨春『近代朝鮮の政治文化と民衆運動』(有志舎、2020年)を上梓されました。本書において趙氏は、新たな方法的視座を明快に打ち出しています。それは、近代移行期の朝鮮社会を「政治文化」を基軸に捉えなおす、という視座です。趙氏は、「政治文化」の長期的波動という発想によって、朝鮮王朝成立時から植民地下の三・一運動までの朝鮮社会を動態的に把握しつつ、民衆の営為と運動の歴史を丹念に解き明かしています。加えて本書においては、それらを日本と比較するという視点が貫かれています。「政治文化」の比較は、統治体制にはじまり、近代の食生活や三・一運動/米騒動など、民衆の生活・運動・意識の次元にまで及んでいます。  民衆史の視点から「政治文化」論を試みる本書は、東アジア民衆を叙述するという困難な課題に対して、方法論的な示唆を与えています。そこで本会は、著者をお招きして、本書の合評会を企画しました。評者は、中国史の藤谷浩悦氏、日本史の大月英雄氏・藤田貴士氏にお願いしました。「政治文化」を視座として近代移行期の統治体制と民衆運動をとらえる本書の方法の有効性、そしてそれが可能にする比較史の可能性などについて、率直な意見交換の場となれば幸いです。 報告者 藤谷浩悦 / 大月英雄 / 藤田貴士 タイムテーブル 13:00 開会挨拶 13:05 藤谷報告 14:00 大月報告 14:55 藤田報告 15:50 著者からのリプライ 16:20 総合討論 17:50 閉会挨拶 申込み方法 8月20日まで ...

工兵と新聞記者がみた19世紀朝鮮 2018年度第2回大会

アジア民衆史研究会 2018年度第2回研究会を、以下の要領で行います。ぜひご参加ください。 工兵と新聞記者がみた19世紀朝鮮 アジア民衆史研究会 2018年度第2回大会 報告者・論題 第一報告 廣瀬邦彦 (舞鶴地方史研究会・京都府立東舞鶴高校) 「「韓行日記」発掘のいきさつと所蔵者池田儀一郎について」 青木然 (アジア民衆史研究会・たばこと塩の博物館) 「原正忠「韓行日記」からみる壬午軍乱と朝鮮観」 第二報告 中川未来 (愛媛大学) 「日清戦前の朝鮮経験と対外観形成—在朝日本人・居留地メディア・地域社会」 コメント 金山泰志 (同朋大学) 日時・会場 2018年12月8日(土)午後1時30分開始 明治大学 駿河台キャンパス リバティータワー 11階 1113教室 事前申し込みは不要です お問い合わせ/最新情報 アジア民衆史研究会事務局 popular.history.in.asia@gmail.com 趣旨文 2018年第2回研究会では、壬午軍乱(1882年)に従軍した工兵と甲午農民戦争(1894年)を報じた新聞記者の朝鮮経験に着目し、彼らのテクストやその影響から、同時期の日本の朝鮮観を考えたい。 近代日本の対外観に関する研究では、その時代を代表する知識人の論説やメディアの論調に着目し、内政・外政のパワーバランスをめぐる議論のなかで、対象となる国・地域がどのように論じられたかを分析する方法が主流といえる。当時支配的だった対外観を復元するうえでは、こうした方法は有効だろう。 しかし、時代を牽引した外交論は自国に利するように論じられる傾向にあり、その対外観もおのずと論旨に合わせ戦略的に構築されたものとなる。また、当時の論調から最大公約数的な“日本の”対外観を導き出すことは、個々の主観に現在の地点からナショナルな枠をもう一度かぶせてしまう作業ともなる。近年では視聴覚メディアなどの通俗的なテクストも視野に入れながら、より広範な民衆の対外観を見通そうとする研究も増えてきているが、こうした作業も日本語メディアの作り出した解釈枠組みを復元することに終始しかねないという問題を抱えている。 現在を生きる私たちの対外観がナショナルな語り方に拘束されていて、それが排外主義への傾斜を促すこともある。だとすれば、対外観の研究においては、支配的な対...
  シンポジウム   「仁政」理念と19世紀日本   ~開催趣旨~    本シンポジウムでは、近世社会に広く共有された「仁政」理念の展開を、主に 19 世紀を中心に取り上げ、いわゆる「仁政」イデオロギー論の現在地を見通したい。  近世日本の支配思想は、「仁政」という言葉に象徴される理念・イデオロギーであるとされる。幕藩領主たちは、天道から統治を「委任」され、「御救」に代表される「仁政」を施して「百姓成立」を保障するという理念を、自らの支配の正当性とした。これは、本来は百姓からの年貢収奪に依存している支配体制を転倒させた、イデオロギー(虚偽意識)である。しかし同時に、領主‐百姓間の関係意識でもあり、百姓が年貢を皆済しなければならないのと同じように、領主は百姓からの「御救」「仁政」の要求に応える存在でなければならず、身分的な規範意識となっていた。百姓一揆の多くは、こうした関係意識に基づいた「御救」「仁政」要求であり、近世日本の民衆運動の性格を規定する社会通念・世界観でもある。これらの議論は、 1970 年代初頭に幕藩制イデオロギー論として提起されたが、その後、領主層による虚偽意識という視角は徐々に後景に退き、領主と民衆の間の社会的約定、一種の双務的な契約関係と理解されるようになり、現在では、近世日本の支配‐被支配関係を説明する汎用性の高い概念として、研究史上に定着していると言ってよい。  ただし、「仁政」を標榜する政治理念のあり方は、近世を通じて不変であったわけではない。そもそもこの理念は、寛永飢饉に象徴される 17 世紀中葉の体制的危機に対応して成立したとされ、 18 世紀中葉以降、財政悪化によって領主の「御救」機能が低下することで変質していくと見通されていた。また、「仁政」理念の近世社会への浸透は、大きくは儒教の浸透と足並みを揃えていたと言えるが、一方で近世前期にそれが領主層に受容された際に大きな役割を果たしたのは、儒教よりも軍記講釈師(「太平記読み」)の語る明君像であった。このように、社会に普遍性をもつ「仁政」という政治理念の、一方における多面性や時代的変遷をどのように捉えるのか、という課題は現在に引き継がれ、近年では、その思想的・機能的側面や、民間社会...

2008年度テーマ 「警察」をめぐるポリティクスをめぐるポリティクス:東アジアにおける民衆の世界観(8)

「警察」をめぐるポリティクスをめぐるポリティクス 2008年度アジア民衆史研究会では、「「警察」をめぐるポリティクス」を年度テーマに掲げ、「警察」と民衆が接触するミクロな範囲を対象とし、そこにおける権力と民衆との複雑な関係性を議論することで、近世・近代移行期における民衆の世界観の一端を明らかにしたい。 これまでアジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げてきた。そこでは、空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。 このテーマのもと、 「君主観と主体の形成」 (2001年度)、 「他者をめぐる空間認識」 (2002年度)、 「他者をめぐる空間認識Ⅱ」 (2003年度)、 「移動・接触からみる空間認識」 (2004年度)、 「ウェスタンインパクトはいかに語られたか」 (2005年度)の年度テーマを掲げて議論を重ねてきた。 しかし、これらの議論は最終的には国民国家論に還元されてしまうだけではないのか、という課題が生じてきた。そこで、人々の生活世界における身近で微細な権力・政治の闘争をポリティクスとし、ある「場」にあらわれるポリティクスに注目して、そこから民衆の思考や行動をみることとした。2006年度は 「死をめぐるポリティクス」 を年度テーマに掲げ、死者の葬り方や墓地のあり方などに対し、近世・近代移行期の権力が多様なかたちで介入し、地域社会や民衆との相克を孕みつつ、新たな変容を生じさせていく様相を明らかにした。ついで2007年度は 「老いをめぐるポリティクス」 を年度テーマとし、「老人」に対する権力の関与だけではなく、「老い」やその対極にある「青年」を規定する社会的背景をも含めた議論を行なった。 その結果、「場」には、社会や大小の権力の介入があり、単なる対立に留まらない権力と民衆との様々な関係性を見出すという成果を得ることができた。その一方で、そこにみられる権力の多様さゆえに、権力と民衆との関係性をめぐる論点が広がりすぎたため、議論の集約という点では課題が残された。 そこで2008年度は、民衆世界に介入する様々な権力のうちの一つである「警察」を主たる検討対象として設定することとした。ここでいう「警察」は、近代国家制度としての...

「アジアにおける国民国家構想」趣旨

近代西欧で誕生した国民国家は瞬く間に伝播していき、アジアにもその採用を迫るに至った。西勢東漸の波濤は、伝統的世界に浸るアジア諸国家にさまざまな葛藤を生み出し、アジア諸国家は植民地化を免れるべく、必死の営為をしていく。結果として、第二次大戦以前国民国家の建設に成功を収めたのは、アジアの東端である日本と西端であるトルコであり、タイも一応の独立を維持することができた。中国の場合は半植民地化の中から国民革命を目指したが、他のほとんどの国々は植民地に転落した。 このようにアジアにおける近代の道程は明暗を分けるに至ったが、「アジアにおける国民国家構想」と銘打つ本シンポジウムの意図するところは、各国でさまざまに営為された国民国家構想を比較検討することにある。その際、国民国家の建設に成功を収めた日本などを理念型として括りだし、他をその基準に合わせて評価していくというような近代論的な方法をとらないのは言うまでもない。日本もまた、国民国家建設の成功の裏でさまざまな矛盾や問題を抱えるに至ったのであり、それが何であるかを問うことがむしろ重要な課題である。国民国家構想の違いには、伝統思想や伝統文化との葛藤の深度が大きく規定する要因となったものと考えられるが、そうしたことを探り出していかなければならない。現在世界はグローバリゼーションの波に洗われ、国民国家は揺らぎを見せているにもかかわらず、逆にそうであるがゆえにその強度が増しつつあるという皮肉な状況下にあると言えよう。しかし、その表れ方も一様ではない。本シンポジウムは、そうした現在的な課題を十分に念頭に置きつつ進めていきたい。かつて竹内好が提起した伝統との葛藤にまつわる「回心文化」と「転向文化」の問題は、決して古びたものとなっていない。伝統は、国民国家体系を当為とする現代世界にあってなお、人々の行動や思惟などを拘束しているのが現実である。日本の「転向文化」もまた、伝統のあり方のゆえに可能であったとも言うことができる。 本シンポジウムでもっぱら取り上げる事例は、日本・中国・ベトナム・トルコである。これらは国民国家に成功を収めた国と半植民地となった国、そして完全植民地となった国に分けられるが、この四国は相互に影響を被りつつも独自な国民国家構想を営為した。全三者は同じく儒教文化圏に属しているにもかかわらず、その国家構想は分岐している。また、トルコは...

2007年度テーマ 老いをめぐるポリティクス:東アジアにおける民衆の世界観(7)

老いをめぐるポリティクス アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。 このテーマのもと、2001年度は民衆の〈世界観〉の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。2004年度においては、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され、ないしは変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。2005年度は世界観を創出する行為としての〈語り〉に注目し、特に東アジア地域共通の経験としてウェスタンインパクトについてのさまざまな〈語り〉を検討し、〈語り〉のエコノミーの相対的な自律性とその転移・再利用あるいは再生産、〈語り〉を媒介とした社会認識の構築あるいは運動を考察することができた。 しかし、こうした成果を得る一方で、いくつかの課題も浮上してきた。 一つは、近世・近代移行期における多少の逸脱やせめぎあいも終局的には国民国家のイデオロギー編成に収斂するという、国民国家論の問題圏を越えられていないのではないか、ということ。いま一つは、民衆の世界観という問題を考えるにあたっては、観念形態だけではなく、具体的な事象からも接近しなければならないのではないか、ということである。 こうした点を踏まえ、2006年度は、19世紀から20世紀にかけての東アジア地域における「民衆の世界観」の変容過程を考えるための手がかりとして、「死をめぐるポリティクス」というテーマを掲げた。 「ポリティクス」の意図するところは、還元論的な議論...

2006年度テーマ 死をめぐるポリティクス:東アジアにおける民衆の世界観(6)

死をめぐるポリティクス 大多数の人びとがおそらく経験するであろうところの死。言うまでもなく、それは死するその人にとっての個々人の問題、個別的な限界状況であるが、同時にそれは、さまざまな人々・社会諸集団・あるいは諸制度などからの介入によって、社会的な「何か」を生産する場でもある。この場において個々人の限界状況は、さまざまな位相における限界状況へと接続を試みられ、あるいは社会的な意味──たとえば「慰霊すべき死者」「模範とすべき/すべきではない死」「共同体の守護者」など──が、あるいはそれを再生産するためのもの──顕彰のための施設・モニュメント、儀礼や禁忌などの慣習的実践など──が生産される。 さしあたってここでは、死という経験の場に対する介入と相克のダイナミズムを、「死をめぐるポリティクス」として考えてみたい。アジア民衆史研究会は2006年度、「死をめぐるポリティクス」という年間テーマのもと、死という経験を巡るさまざまな介入と相克、分裂と結合の複雑な様態を考察する。それを通じて、19世紀から20世紀にかけての東アジア地域における「民衆の世界観」の変容過程を考えるための糸口を探ってみたいと思う。 アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げた。このテーマのもと2001年度は民衆の世界観の一側面として「君主観」を検討した。 続いて「他者をめぐる空間認識」という問題を設定した。「民衆は自らの所属している空間をどのように捉えているのか」という問題設定のもと、2002年度は「自己と他者との関係の中における空間認識」を検討した。2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することができた。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。さらに2004年度は、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。 2005年度は世界観を創出する行為としての<語り>に注目し、特に東アジア地域共通の経験としてウェスタンインパクトについてのさまざまな<語り...

2005年度テーマ ウェスタンインパクトはいかに語られたか:東アジアにおける民衆の世界観(5)

ウェスタンインパクトはいかに語られたか アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を<世界観>として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。 このテーマのもと、2001年度は民衆の<世界観>の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002?2004年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。2004年度においては、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され、ないしは変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。 しかし、議論においては、世界観が民衆の行為を拘束する既存の認識枠組みとして第一義的に意識され、民衆それぞれの行為によってそれが創出ないし変容し、あらたな実践の前提となっていくということが看過されがちであった。さらに、議論を続けていくうちに、世界観なかんずく空間認識について、それぞれの報告が興味深い指摘をしているものの、それらが有機的に関連しあって、「アジア」全体を問題にした提起が十分なされていないという反省が生じた。 そこで、本年度は、世界観を創出する行為としての<語り>に注目して、民衆の世界観を考えていきたい。今までの歴史学は、いかに正確に情報が伝達されたのかということに重きを置いてきた。一方で、<語る>という行為に着目した研究も表れてきている。このようだ動向をふまえて、アジア民衆史研究会としては、いままで十分方法的に把握されてこなかった流言飛語なども意識的にとりあげ、必ずしも正確ではなく整理もされていない民衆のきれぎれの<語り>を検討することで、民衆がどのように主体的に世界観を創出...

2004年度テーマ 移動・接触からみる空間認識:東アジアにおける民衆の世界観(4)

移動・接触からみる空間認識 アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を<世界観>として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。 このテーマのもと、2001年度は民衆の<世界観>の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002年度・2003年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。 しかし、一昨年度及び昨年度における空間認識というテーマは、アイデンティティの問題に回収される可能性があるという問題点が浮き彫りとなった。また、「空間」というものを、日常的な空間から、宇宙や世界といった意識的にしか理解出来ない空間、さらには「国民的共同体」といった仮想的空間にまで幅広く設定したために、議論の焦点が絞り切れないという問題が生じた。 そこで本年度は、昨年度までのテーマである空間認識の問題を継承しつつも、より焦点を絞り、さらに具体的なものとして「移動」の問題に着目したい。移動の結果として起こる接触の場面は、空間認識という視点から見れば「対面空間」と言うことも可能である。移動によって生じる接触は、それまで保持していた<世界観>の変容を迫りうる。あるいは接触により、それまでの<世界観>をさらに強固なものに再編していくことも考えられる。「対面空間」すなわち出会いの場面でどのような認識が形成され、あるいは変容を遂げるのか。移動・越境・接触の場面での<世界観>の形成と変容に着目することで、こうした問題に迫ることが可能であると考える。 またここでは、「国家を背負った人間同士の接触」という認識を前提とせずにひととひととの接触による<世界観>の形成過程と変容を検討し、その経験がさらに意識・移動(実践)...

2003年度テーマ 他者をめぐる空間認識 II :東アジアにおける民衆の世界観(3)

一昨年来アジア民衆史研究会は、中長期的テーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げ、アジア地域における民衆の空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこから民衆の主体形成の問題を検討していくことにした。この〈世界観〉とは「人々の発言、行動、経験や実践を支え、規制すると同時に、人々の発言、行動、経験や実践によって創出される認識枠組」であるとの共通認識が一昨年、昨年度の方針において得られている。 以上の方針のもと、一昨年度は主体形成と権威のあり様との関連性を明らかにすべく民衆の君主観について取り上げ、昨年度からは人々が空間をどのように意味づけているか、という空間認識の問題を検討している。 ここでいう〈空間〉とは日常空間のみならず、意識的・仮想的空間も含んでいる。人々は〈空間〉を通して世界で起こるさまざまな事象を受け止め、意味づけようとする。そしてこの空間認識に従って人々はさまざまな実践をなしていく。しかし同時に人々の実践は場の構造を変化させ、前提であった空間認識の変容へとつながっていく。空間認識とは人々の実践を規定する認識枠組であるが、そこには人々の主体的な営みによって変容する可能性が常に内在しているのである。 昨年度は近代移行期のアジアにおける〈他者〉の問題に着目し、さまざまな形で創出・変容する自/他の境界認識の様相を明らかにした。本年度も引き続き〈他者〉をめぐる空間認識を取り上げるが、本年度は18世紀から20世紀初頭までを視野に入れ、特に人々が空間認識を形成し変容させていく際に陰に陽に影響を与える種々の権力の動きに留意しながら検討していくことにしたい。 確かに人々が抱く空間認識は多様性に富んだものである。ただしそれは国家や資本主義が人々の生きる空間に対して持つ力が弱いことを示すわけではない。人々の生きる空間にはしばしば政治的に不平等・不均衡な関係が発生し、経済的な搾取も行われる。むしろ権力や秩序によって空間編成が強固に押し進められる、換言すれば〈支配〉側の空間認識が圧倒的な力を持って人々の前に立ち現れてくる、そういう状況で生きなければならないからこそ人々は多様な空間認識を生み出すのである。 権力・秩序が境界を設定することで空間を切り分け、自/他を措定して意味づける場合、一定の価値基準によって空間を編成し、序列化する形をとる。これはいつの時代に...

2002年度テーマ 東アジアにおける民衆の世界観(2):他者をめぐる空間認識

昨年来、アジア民衆史は、中期的テーマとして、アジア地域における民衆の「意識」総体を「世界観」として把握し、そこから民衆の主体形成の問題を検討していくこととした。この「世界観」については、昨年の方針において、「人々の空間・時間・人間に関わる意識の総体を指すものと、とりあえず、定義したい。そうした世界観は人々の発言、行動、経験や実践を支え、規制すると同時に、人々の発言、行動、経験や実践によって創出される認識枠組である」という共通の認識を得ている。その上で、昨年は、「一般に人々の主体形成は、権威のあり様と密接な関連をもっている。そうした権威の形態の一つとして存在するのが、君主である」という認識のもとで、君主観をとりあげ、それがいかに民衆の主体形成を規定しているとともに、民衆の側から逆に君主観総体を構成するかを検討してきた。 本年度のアジア民衆史研究会は、昨年来の「世界観」に対する検討を継続しつつ、新たに、他者を意識することによって、どのような空間認識が創出され、想起され、変容していくのかという問題をとりあげる。近代移行期においては、ウェスタンインパクトによって、いやがおうでも、空間認識が世界全体を対象とするようになったといえよう。ただ、この空間とは、現実の民衆が生活し活動することによって創出されていく場であるとともに、民衆の活動が規定されている認識枠組でもある。 通常、このような空間のありかたは、民衆の意識総体の前提であるがゆえに、逆に強く認識されえない。しかしながら、他者を意識することにより、それぞれの空間の固有なありかたが強く認識されてくる。人は、みずからと強く結びつけられていると感じていたものとは違う、他者としての人・もの・文化などに向き合わざるを得なくなる。このことは、一面では、自/他の境界を創出するとともに、さらに、その自/他の境界をこえる可能性を生み出すことにつながっていくであろう。 もちろん、他者に向き合ういうことは、それぞれの場において、多様な過程を生みだしていく。そして、この、他者を意識することによって、民衆の空間認識は、創出され、想起され、変容していくのである。この、他者を意識することによって、強く認識される空間認識の多様なあり方を、近代移行期の世界観総体の構造を理解していく一環として、検討することにしたい。

2001年度テーマ 東アジアにおける民衆の世界観(1):君主観と主体の形成

1997年の国際シンポジウム「東アジアの近代移行を民衆運動史からとらえるシンポジウム」、1998年の国内シンポジウム「近代移行期、東アジアにおける政治的中間層の成立」の両シンポジウムにおいては、19世紀の激動する社会の中で人々の政治的主体の形成とあり様を分析・検討する視角として、構成概念としての「政治的中間層」を提起し、1999年の国際シンポジウム「東アジアにおける国民形成と民衆」では、「国民形成」を軸に、19世紀以降の東アジアの近代化過程をも視野に収めて、人々の主体の多様なあらわれ方を検討した。さらに、2000年の国際シンポジウムは、「東アジアにおける国民形成とジェンダー」をテーマに、近代移行期における人々の主体形成の問題をジェンダーの視点から検討し、ジェンダーが人々の主体形成にどうコミットしていったか、同時に、ジェンダーが新たに社会的にどのように作られていくのかについて議論した。(それぞれの議論の詳細については、『東アジアの近代移行と民衆』3集~6集を参照されたい。) 以上のように、アジア民衆史研究会は近代移行期の日・中・韓各地域における人々の主体の形成とそのあり様について考察を続けてきたが、こうした過程のなかで、人々の主体の形成とそのあり様を明らかにするためには、人々の「意識」に焦点をあてた検討・考察が必要であるとの結論に至った。とりわけ、人々の「意識」の一形態であるジェンダーの視角から、国民形成とジェンダーの関わりを問うた昨年のシンポジウムは、より一般的、かつ総合的な人びとの「意識」の総体を問う必要性を我々に提起した。 こうしたことを踏まえ、アジア民衆史研究会は、人々の「意識」総体を「世界観」として把握し、そこから人々の主体形成の問題を検討してゆくことを、中・長期的テーマに設定したい。 ここで、「世界観」とは、人々の空間・時間・人間に関わる意識の総体を指すものと、とりあえず、定義したい。そうした世界観は人々の発言、行動、経験や実践を支え、規制すると同時に、人々の発言、行動、経験や実践によって創出される認識枠組である。換言すれば、「世界観」は、社会的に位置付けられた価値体系の総体であるが、一方で、それは、価値体系を前提とした実践行為の体系でもある。したがって、この認識枠組は人々の社会的行動の前提となり、社会秩序を創出するが、また同時に、人々の社会的...
国際シンポジウム「18-19世紀近代移行期の東アジア民衆」開催についてのご提案とお誘い 関係各位  私達は、アジア諸地域の民主運動史・民衆生活史・民衆文化史の研究にたずさわる者として、近代移行期のアジア民衆の生き方・力量を相対的に認識するにはどうしたらよいかということを年来考えてまいりました。そこでまず、私たちは韓国・中国の研究者と意見交換の場を持ちたいと考えました。さいわい、私達の研究会は、91年に韓国のソウルで歴史問題研究所の方々と、93年に中国の南京で南京大学歴史研究所の方々と研究交流を行うことができ、興味深いフィールドワークも体験いたしました。この二度の研究交流体験を通じて、上記の認識を深めるためには、韓国の研究者、中国の研究者、日本の研究者がそれぞれの研究成果を持ち寄り、同じ場所で民衆像の特徴を相互に提示し、比較しあいながら、その影響関係・波及関係などを検討することが、ぜひ必要であるという気持ちを強めるにいたりました。  この度、私たちのこのような認識に対して、早稲田大学から助成費(国際共同研究)を得られることになりました。日頃自国史の研究をすすめている三国の研究者が一同に集まって、それぞれの言語を用いて報告と討論を行うことは、きわめて重要で意義のあることと存じます。そして各位も同様のお考えをお持ちのことと存じます。そこで以下の企画・シンポジュームに奮ってご参加いただきたく心からお誘い申上げる次第です。僭越ですが、早稲田大学(主催者)の資金と国際会議場を使用いたします関係上、期日、規模、人数等についての条件がありますので、開催の大枠を以下の通りとさせていただきます。 記 題目 国際シンポ「18-19世紀近代移行期における東アジア民衆」 期日 1997年8月2日(早稲田大学国際小会議場での30-60人規模の専門家会議)        3日(早稲田大学国際大会議場での400人規模のシンポジウム)        4日(千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館と義民史跡見学、30-50人)