一昨年来アジア民衆史研究会は、中長期的テーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げ、アジア地域における民衆の空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこから民衆の主体形成の問題を検討していくことにした。この〈世界観〉とは「人々の発言、行動、経験や実践を支え、規制すると同時に、人々の発言、行動、経験や実践によって創出される認識枠組」であるとの共通認識が一昨年、昨年度の方針において得られている。
以上の方針のもと、一昨年度は主体形成と権威のあり様との関連性を明らかにすべく民衆の君主観について取り上げ、昨年度からは人々が空間をどのように意味づけているか、という空間認識の問題を検討している。
ここでいう〈空間〉とは日常空間のみならず、意識的・仮想的空間も含んでいる。人々は〈空間〉を通して世界で起こるさまざまな事象を受け止め、意味づけようとする。そしてこの空間認識に従って人々はさまざまな実践をなしていく。しかし同時に人々の実践は場の構造を変化させ、前提であった空間認識の変容へとつながっていく。空間認識とは人々の実践を規定する認識枠組であるが、そこには人々の主体的な営みによって変容する可能性が常に内在しているのである。
昨年度は近代移行期のアジアにおける〈他者〉の問題に着目し、さまざまな形で創出・変容する自/他の境界認識の様相を明らかにした。本年度も引き続き〈他者〉をめぐる空間認識を取り上げるが、本年度は18世紀から20世紀初頭までを視野に入れ、特に人々が空間認識を形成し変容させていく際に陰に陽に影響を与える種々の権力の動きに留意しながら検討していくことにしたい。
確かに人々が抱く空間認識は多様性に富んだものである。ただしそれは国家や資本主義が人々の生きる空間に対して持つ力が弱いことを示すわけではない。人々の生きる空間にはしばしば政治的に不平等・不均衡な関係が発生し、経済的な搾取も行われる。むしろ権力や秩序によって空間編成が強固に押し進められる、換言すれば〈支配〉側の空間認識が圧倒的な力を持って人々の前に立ち現れてくる、そういう状況で生きなければならないからこそ人々は多様な空間認識を生み出すのである。
権力・秩序が境界を設定することで空間を切り分け、自/他を措定して意味づける場合、一定の価値基準によって空間を編成し、序列化する形をとる。これはいつの時代にも見られることであるが、前近代においては、国家・民族・身分・諸集団などを単位に境界が重層的に存在していた。そのため、政治的・経済的あるいは文化的な支配・被支配は必ずしも場と場の間の一元的な序列関係に収斂されることはなかった。空間の序列とそこに生きる人々の序列とは相即しなかったのである。
しかし近代へと移行していくなかで、国家・地域権力の施策、外国勢力の登場、世界資本主義の展開などによって、自/他の境界が広範に創出されて新たな空間区分がつくられ、権力や資本主義は、人々を含み込みながら空間を価値づけ、序列化しようとする。空間の序列を一元化・正当化すべく、自/他の空間に中心/辺境、文明/未開、清浄/不潔、先進/後進、富/貧といった絶対的価値が付与される。結果、境界はあらかじめ存在していたかのように意識され、自/他の空間を序列化する価値基準は不可逆的なもののように見えてくる。権力関係や階層関係が場と場の間の不均衡・不平等として収斂され、〈支配〉側の空間認識として表象される。
今日の歴史学は国家や国民そして国境は不変のものでも所与のものでもないことを明らかにしつつある。つまり〈支配〉側の空間認識のあり様を示す点については一定の取り組みがなされているのである。しかしそれに応答した人々の姿については充分に描き出せてはいないのではないか。人々は葛藤を抱きながらも最終的には国民国家の空間認識へと取り込まれていくだけなのか。あるいは取り込まれずに人々が国民国家とは異なる空間認識を持ち続けたとしても、それを前代の空間認識の〈残滓〉とみなすだけでよいのであろうか。
強大な影響力を持つ〈支配〉側の空間認識に、人々は主体的に種々の方法で向かい合ったと思われる。〈支配〉側の空間認識に人々が即応せず、さまざまな齟齬が生じたであろう。また、国民国家の空間認識に回収されたかのようにみえても、そこに人々の実践が存在しなかったわけではないだろう。〈支配〉側の空間認識に応答すべく、〈伝統〉的な空間認識を想起したり、〈支配〉側の空間認識の〈読み替え〉を行った可能性も想定できよう。
18世紀〜20世紀初頭の東アジアにおいて人々が多様な空間認識を生み出していく様相を丹念に検証することでその差異や共通性を明らかにし、民衆の世界観の構造をさぐっていくこととしたい。
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