スキップしてメイン コンテンツに移動

 
シンポジウム  「仁政」理念と19世紀日本

 
~開催趣旨~

 

 本シンポジウムでは、近世社会に広く共有された「仁政」理念の展開を、主に19世紀を中心に取り上げ、いわゆる「仁政」イデオロギー論の現在地を見通したい。

 近世日本の支配思想は、「仁政」という言葉に象徴される理念・イデオロギーであるとされる。幕藩領主たちは、天道から統治を「委任」され、「御救」に代表される「仁政」を施して「百姓成立」を保障するという理念を、自らの支配の正当性とした。これは、本来は百姓からの年貢収奪に依存している支配体制を転倒させた、イデオロギー(虚偽意識)である。しかし同時に、領主‐百姓間の関係意識でもあり、百姓が年貢を皆済しなければならないのと同じように、領主は百姓からの「御救」「仁政」の要求に応える存在でなければならず、身分的な規範意識となっていた。百姓一揆の多くは、こうした関係意識に基づいた「御救」「仁政」要求であり、近世日本の民衆運動の性格を規定する社会通念・世界観でもある。これらの議論は、1970年代初頭に幕藩制イデオロギー論として提起されたが、その後、領主層による虚偽意識という視角は徐々に後景に退き、領主と民衆の間の社会的約定、一種の双務的な契約関係と理解されるようになり、現在では、近世日本の支配‐被支配関係を説明する汎用性の高い概念として、研究史上に定着していると言ってよい。

 ただし、「仁政」を標榜する政治理念のあり方は、近世を通じて不変であったわけではない。そもそもこの理念は、寛永飢饉に象徴される17世紀中葉の体制的危機に対応して成立したとされ、18世紀中葉以降、財政悪化によって領主の「御救」機能が低下することで変質していくと見通されていた。また、「仁政」理念の近世社会への浸透は、大きくは儒教の浸透と足並みを揃えていたと言えるが、一方で近世前期にそれが領主層に受容された際に大きな役割を果たしたのは、儒教よりも軍記講釈師(「太平記読み」)の語る明君像であった。このように、社会に普遍性をもつ「仁政」という政治理念の、一方における多面性や時代的変遷をどのように捉えるのか、という課題は現在に引き継がれ、近年では、その思想的・機能的側面や、民間社会との緊張関係が、様々な角度から追及されている。とりわけ、この政治理念を構成する諸々の要素は、大きくは東アジアの政治文化に連なっており、「東アジア近世」のなかで日本社会を捉える場合に、重要な論点の一つとなっている。

 そこで本シンポジウムでは、特に次の二点に焦点を当てる。

 第一には、「仁政」理念の変容のあり方である。先に述べた「太平記読み」の研究が示すように、そもそも近世日本が「仁政」理念を受容する思想的・社会的基盤は、多様な要素の絡み合いとして捉える必要がある。さらにそれが、18世紀中葉以降に「変質」するとすれば、各時期の社会状況に応じた具体的な「変質」のあり方とはどのようなものだろうか。

 第二に、「仁政」理念の近代以降の行方である。近年盛んに議論されている「東アジア近世」論は、東アジアが共有した「近世」を想定することによって、西洋的「近代」を相対化しつつ、東アジア世界の経験に根ざして「近代」を再考する意図を含んでいる。だとすれば、近世社会に広く共有された「仁政」理念も、その行方を19世紀というスパンで見通す必要があるだろう。

 「仁政」イデオロギー論を、多面的な考察によって継承していくことは、近世社会の理解の深化、さらには東アジアの近世・近代についての理解の深化につながるだろう。同時にそれは、現代社会と絶えず向き合ってきた先学の営為を引き継ぐことでもある。「仁政」理念が、イデオロギーから政治文化へと捉え直されていったのが、戦後歴史学からグランド・セオリーの崩壊に至る時代状況と格闘してきた先学たちの営為の軌跡だとすれば、我々はいま、この議論の何を継承し、何を乗り越えていくべきだろうか。活発な議論を期待したい。

コメント

このブログの人気の投稿

2024年度第2回研究会(1/11)「民衆蜂起をめぐる主体と構造」へのおさそい

2025年1月11日(土)、アジア民衆史研究会2024年度第2回研究会を開催いたします。 会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 テーマ「民衆蜂起をめぐる主体と構造」 概要 日にち:2025年1月11日(土) 時間:13:00~17:30 場所: 早稲田大学早稲田キャンパス3号館 709教室・オンライン(Zoom) 主催:アジア民衆史研究会 報告 衛藤安奈「中国国民革命期の都市労働者層における流動性と団体性、およびその政治的意義」 藤田貴士「大争議における労働者の意識と行動──1921年三菱・川崎造船所争議を事例として──」 タイムスケジュール 13:00 開会挨拶、注意事項の説明 13:10 第一報告(衛藤安奈氏) 14:30 第二報告(藤田貴士氏) 15:50 総合討論 参加費(レジュメ代) 会場参加:500円 オンライン参加:無料 申込方法 申込にはGoogleフォームを使用します。参加を希望される方は、下記URLをクリックし、Googleフォームにメールアドレス等をご登録ください。どなたでもご参加いただけます。 https://forms.gle/HNKr1a7vnmtAaSnA7 2025年1月10日(金)17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 申込は1月9日(木)までにお済ませください。 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。   趣旨文「民衆蜂起をめぐる主体と構造」 社会のなかに生きるさまざまな民衆を、歴史の主体としてどのように捉えればよいだろうか。民衆史研究は、かつての階級闘争史や人民闘争史とは異なり、民衆的主体の意義やそれが孕む問題を自己点検的に検証した。その代表例が、民衆思想史と呼ばれる研究潮流であり、アプリオリに措定された日本民衆という主体に対し、女性や沖縄、被差別部落などの観点から再考を試みた。し...

2024年度総会のご案内・第1回研究会(7/28)へのおさそい

7月28日(日)、アジア民衆史研究会2024年度総会および第1回研究会を開催いたします。 今回も会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 概要 日にち:2024年7月28日(日) 時間:11:00~12:00 総会、13:00~17:10 研究会 場所: 早稲田大学早稲田キャンパス22号館 5階 508教室、およびオンライン開催(Zoomを使用します) 主催:アジア民衆史研究会 総会次第 2023年度活動報告および2024年度活動計画 2023年度会計決算および2024年度会計予算 第1回研究会 報告者(タイトルは仮) 柳下草太「1910年代初頭における部落問題をめぐる政策と運動の相克──大和同志会の設立背景に着目して」 本報告は1910年代初頭において、府県レベルで実施された部落問題政策とその対象地域における部落解放運動がどのような関係を有していたのかを検討するものである。近代部落史研究は、当該期の部落解放運動について、被差別部落の低位性を改善することで差別からの解放を目指した自主的な部落改善運動が、内務省が主導する上からの部落問題政策に取り込まれていくといった歴史像を提示してきた。しかし、実際の運動がどのように政府主導の運動に再編されていくのか、政策実施以前からの運動と実施後の運動にはどのような差異が存在したのかといった具体的な運動と政策の関係については十分に明らかにされてこなかった。 そのため、本報告では政策実施以前から部落名望家層による自主的な改善運動が盛んであった奈良県を事例に、政策が運動の再編を図る過程とその帰結を明らかにする。そのうえで、政策をめぐる内務省と運動の相反が大正初年に登場した部落解放運動団体である大和同志会の設立を促した点を指摘する。また、全体を通じて、先行研究において使用されてきた自主的部落改善運動や融和運動といった当該期の部落解放運動を示す用語・概念の問題点について検討し、新たな分析枠組みを模索する。 相良海香子「明治・大正期の香椎宮」 旧官幣大社・香椎宮(福岡県福岡市東区香椎)は、古代には神功皇后や応神天皇を祀る「霊廟」として朝廷と強く結びつき、中世・近世には九州の武家や民衆から信仰を得るなど、国家や地域社会において重要な位置を占めていたことが明らかにされている。一方で近代の香椎宮に関しては...

2023年度第2回研究会(12/23)『アジア民衆史研究』28集【増刊号】「歴史的民主主義という問い」書評会へのおさそい

12月23日(土)、アジア民衆史研究会2023年度総会および第2回研究会を開催いたします。 会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 概要 日にち:12月23日(土) 時間:13:00~17:05 場所:早稲田大学早稲田キャンパス22号館5階508教室、およびオンライン開催(Zoomを使用します) 主催:アジア民衆史研究会 第2回研究会 『アジア民衆史研究』28集【増刊号】「歴史的民主主義という問い」書評会 報告者      富山仁貴 金富子 タイムスケジュール 13:00 開会挨拶、注意事項の説明 13:10 富山仁貴報告 14:00 金富子報告 15:00 総合討論 申込方法 申込にはGoogleフォームを使用します。参加を希望される方は、下記URLをクリックし、Googleフォームにメールアドレス等をご登録ください。 https://forms.gle/u4bsCAfgc57BqHtr7 2023年12月22日17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。申込は前々日12月21日(木)までにお済ませください。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。