アジア民衆史研究会 2019年度第2回大会
メディアからみる国家と民衆の暴力
日時
会場
報告
三澤真美恵(日本大学)「映画『セデック・バレ』にみる表象の不可能性と可能性」(仮)
広中一成(愛知大学)「通州事件遭難者家族の戦後──インタビューをとおして」
伊藤俊介(福島大学)「芝居に描かれた真土村事件──『噂廼松蚊鎗夜話』の分析をもとに」
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趣旨文
アジア民衆史研究会では、「メディアからみる国家と民衆の暴力」をテーマとし、シンポジウムを開催する。以下がその理由となる。
近年、ポスト・トゥルース、フェイク・ニュース、憎悪をかきたてるような日中、日韓関係報道やSNSによる動画配信などのメディアの拡散力、メディア発信層の多様化、国家権力による芸術分野への表現に対する圧力など、“事実”を重視する歴史学にとり看過できない問題群が発生している。メディアのもつ社会的意味が問われていると言えよう。
メディアにとって、恐怖を生み出す暴力は加工しやすく伝えやすい素材である。メディアが暴力をどう扱い表現するか、そしてそれを受け止める民衆がいかに反応していったのか、というメディアと暴力の関係を問うことは、現代歴史学にとり重要な論点になると言えよう。そこで、アジア民衆史研究会では、メディアという側面から国家と民衆との関係を問うことを基軸とし、暴力という切り口を加味し検討したい。
メディアが民衆の歴史認識や自他国イメージ、時代像の形成において重要な役割を担ってきたのと同様、民衆もメディアの作り出すイメージに影響を与えており、メディアと民衆は相互に作用し合う関係にある。
無論、暴力そのものが人々の注目を集めやすい事象であり、そのためメディアが積極的に暴力を取り上げてきた面はある。そのため、“事実”であるかどうかよりも、メディアにおいてはレトリックが重視される傾向にあり、メディアで描かれることすべてが“事実”とは限らない。
しかし“事実”でないと切り捨て、議論を拒むのではなく、メディアとして作り出されたことの意味、民衆への影響を歴史学として検討していくことが必要な時代となっているのではないだろうか。その時々の現実との緊張関係がメディアに影響を与えたことを鑑みていく必要があろう。上記の問題意識からアジア民衆史研究会では、次の三報告を用意した。
- 三澤真美恵氏「映画『セデック・バレ』にみる表象の不可能性と可能性」(仮)
- 広中一成氏「通州事件遭難者家族の戦後―インタビューをとおして」
- 伊藤俊介氏「芝居に描かれた真土村事件−『噂廼松蚊鎗夜話』の分析をもとに−」
メディアに描かれる暴力を、民衆、植民地支配、国家によるプロパガンダという多方面から検討し、民衆の“記憶”として受容される可能性、国家の歴史と民衆の歴史認識の差異などを明らかにすることを試みたい。フロアからの活発な議論を期待する。
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