近代西欧で誕生した国民国家は瞬く間に伝播していき、アジアにもその採用を迫るに至った。西勢東漸の波濤は、伝統的世界に浸るアジア諸国家にさまざまな葛藤を生み出し、アジア諸国家は植民地化を免れるべく、必死の営為をしていく。結果として、第二次大戦以前国民国家の建設に成功を収めたのは、アジアの東端である日本と西端であるトルコであり、タイも一応の独立を維持することができた。中国の場合は半植民地化の中から国民革命を目指したが、他のほとんどの国々は植民地に転落した。
このようにアジアにおける近代の道程は明暗を分けるに至ったが、「アジアにおける国民国家構想」と銘打つ本シンポジウムの意図するところは、各国でさまざまに営為された国民国家構想を比較検討することにある。その際、国民国家の建設に成功を収めた日本などを理念型として括りだし、他をその基準に合わせて評価していくというような近代論的な方法をとらないのは言うまでもない。日本もまた、国民国家建設の成功の裏でさまざまな矛盾や問題を抱えるに至ったのであり、それが何であるかを問うことがむしろ重要な課題である。国民国家構想の違いには、伝統思想や伝統文化との葛藤の深度が大きく規定する要因となったものと考えられるが、そうしたことを探り出していかなければならない。現在世界はグローバリゼーションの波に洗われ、国民国家は揺らぎを見せているにもかかわらず、逆にそうであるがゆえにその強度が増しつつあるという皮肉な状況下にあると言えよう。しかし、その表れ方も一様ではない。本シンポジウムは、そうした現在的な課題を十分に念頭に置きつつ進めていきたい。かつて竹内好が提起した伝統との葛藤にまつわる「回心文化」と「転向文化」の問題は、決して古びたものとなっていない。伝統は、国民国家体系を当為とする現代世界にあってなお、人々の行動や思惟などを拘束しているのが現実である。日本の「転向文化」もまた、伝統のあり方のゆえに可能であったとも言うことができる。
本シンポジウムでもっぱら取り上げる事例は、日本・中国・ベトナム・トルコである。これらは国民国家に成功を収めた国と半植民地となった国、そして完全植民地となった国に分けられるが、この四国は相互に影響を被りつつも独自な国民国家構想を営為した。全三者は同じく儒教文化圏に属しているにもかかわらず、その国家構想は分岐している。また、トルコは日本とはるか離れた地に位置しながらも日本のアジア主義と関係を持った。本シンポジウムでは専論としては扱わないが、朝鮮の国民国家構想とアジア主義への対応の仕方も問題としないわけにはいかない。
教科書問題というやっかいな問題もある中で、以上のような課題意識を持つ本シンポジウムは、単に学術的であるばかりではなく、それなりに実践的であると自負するところがある。多くの人々とともに大きな議論ができることを期待したい。
このようにアジアにおける近代の道程は明暗を分けるに至ったが、「アジアにおける国民国家構想」と銘打つ本シンポジウムの意図するところは、各国でさまざまに営為された国民国家構想を比較検討することにある。その際、国民国家の建設に成功を収めた日本などを理念型として括りだし、他をその基準に合わせて評価していくというような近代論的な方法をとらないのは言うまでもない。日本もまた、国民国家建設の成功の裏でさまざまな矛盾や問題を抱えるに至ったのであり、それが何であるかを問うことがむしろ重要な課題である。国民国家構想の違いには、伝統思想や伝統文化との葛藤の深度が大きく規定する要因となったものと考えられるが、そうしたことを探り出していかなければならない。現在世界はグローバリゼーションの波に洗われ、国民国家は揺らぎを見せているにもかかわらず、逆にそうであるがゆえにその強度が増しつつあるという皮肉な状況下にあると言えよう。しかし、その表れ方も一様ではない。本シンポジウムは、そうした現在的な課題を十分に念頭に置きつつ進めていきたい。かつて竹内好が提起した伝統との葛藤にまつわる「回心文化」と「転向文化」の問題は、決して古びたものとなっていない。伝統は、国民国家体系を当為とする現代世界にあってなお、人々の行動や思惟などを拘束しているのが現実である。日本の「転向文化」もまた、伝統のあり方のゆえに可能であったとも言うことができる。
本シンポジウムでもっぱら取り上げる事例は、日本・中国・ベトナム・トルコである。これらは国民国家に成功を収めた国と半植民地となった国、そして完全植民地となった国に分けられるが、この四国は相互に影響を被りつつも独自な国民国家構想を営為した。全三者は同じく儒教文化圏に属しているにもかかわらず、その国家構想は分岐している。また、トルコは日本とはるか離れた地に位置しながらも日本のアジア主義と関係を持った。本シンポジウムでは専論としては扱わないが、朝鮮の国民国家構想とアジア主義への対応の仕方も問題としないわけにはいかない。
教科書問題というやっかいな問題もある中で、以上のような課題意識を持つ本シンポジウムは、単に学術的であるばかりではなく、それなりに実践的であると自負するところがある。多くの人々とともに大きな議論ができることを期待したい。
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