東アジアの視点から安丸民衆史を考える
アジア民衆史研究会 2017年度第2回大会
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報告
- 澤井啓一 「儒教土着化」論から安丸思想史を考える――「通俗道徳」及び「民衆宗教」はどこまで有効な概念か――
- 深谷克己 安丸思想史における日本と東アジア、そして世界
- 武内房司 清末民衆宗教に見る宗教的回心の諸相――安丸良夫氏の民衆宗教研究に寄せて――
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趣旨文
今回のシンポジウムは、安丸良夫の民衆史研究を東アジアの視点から考えることを開催の目的としている。アジア民衆史研究会は東アジア民衆像の総体的理解という視座にたって研究活動を続けてきた。一九九七年に当研究会が開催した「東アジアの近代移行を民衆運動史からとらえる国際シンポジウム」では、「共通する体験と異なるもの、さらに対立する経験などの経験(ママ)を総合して、なお『東アジア民衆』という概念が成立しうるのかどうかを問いながら、近代化に成功したか失敗化したかを速断するよりも、近代移行の過程を民衆がどのように体験していくのかを機軸に近代移行を特徴づけ深めていきたい」と趣旨文で表明している。以後、近代移行期を中心として、東アジア民衆像について研究活動を続け、国際交流を行ってきた。
近年において、深谷克己らが提唱した「東アジア化」論は日本の歴史学界における一つのイッシューとなっている。中国史研究者の岸本美緒は、「東アジア化」論の課題を、「中国(や朝鮮)で色濃くみられた秩序形成のあり方(儒教なかんずく朱子学、集権的政治体制、文人支配などによって特色づけられる)を『東アジア的』というなら、日本はそのような東アジア的秩序形成(すなわち『東アジア』化)を行いえたのか否か、そして現代的な見地からそのことをどのように評価すべきか」と整理している(岸本美緒「地域論・時代区分論の展開」、歴史学研究会編『第四次現代歴史学の成果と課題』、二〇一七年所収)。この「東アジア化」論は、日本の歴史学界も拘束されていた「脱亜論」的歴史観の克服をめざしたものでもある。しかし、「東アジア化」論は「秩序形成」に結実する側面から主に検討されたため、地域・民族・階層によって多様である東アジア民衆の生活の場における主体的なそれぞれの営為から捉えるということがいまだ十分はたされていないともいえる。
他方、安丸良夫は、近代移行期の民衆世界を、通俗道徳・民衆宗教・民衆運動などの側面を中心に解明してきた。安丸民衆史の意義は、近代化論に抗しながら、生活の場におけるそれぞれの民衆の営為を、それまで「前近代的」とされて切り捨てられてきた面を含めて把握し、その意味を問い続けたことにあるだろう。
安丸民衆史においては、アジアの問題を直接的な対象としてとりあげることはなかった。しかし、歴史を研究するものにとって、もし、安丸民衆史を東アジアの視点で考えたらどうなるかという問いを禁じ得ない。この問いに対する思索は多様なものとなると思われる。例えば、安丸民衆史の方法論をアジア諸地域の多様な民衆に応用することや、「東アジア化」論が含意している脱亜論的世界観の克服という課題を安丸の近代化論批判と重ね合わせて考えることということも必要となるだろう。また、安丸民衆史が明示的に扱っていない課題について安丸の方法論をふまえて再検討することで、東アジア民衆史像の新たな視座を切り開くということも想定しうるのである。
さらに、そのような問いは、安丸民衆史の全体像を問い直すことにもつながっていく。今一度、東アジアの視点から安丸民衆史を検討した時、それはどのようなものとして、私たちにせまってくるのだろうか。
以上のようなことを含めて、東アジアの視点から安丸民衆史を考えるということが、今回のシンポジウムの趣旨である。今回は、「儒教の土着化」をキーワードとして東アジアの思想を比較している澤井啓一、前述した「東アジア化」論の提唱者の一人である深谷克己、中国やその周辺地域における多様な民衆宗教のあり方を検討している武内房司の諸氏に報告をお願いした。参加者の活発で有意義な討論を通じて、豊かな東アジアの民衆像が形成されることを期待したい。
(敬称略)
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