死をめぐるポリティクス
大多数の人びとがおそらく経験するであろうところの死。言うまでもなく、それは死するその人にとっての個々人の問題、個別的な限界状況であるが、同時にそれは、さまざまな人々・社会諸集団・あるいは諸制度などからの介入によって、社会的な「何か」を生産する場でもある。この場において個々人の限界状況は、さまざまな位相における限界状況へと接続を試みられ、あるいは社会的な意味──たとえば「慰霊すべき死者」「模範とすべき/すべきではない死」「共同体の守護者」など──が、あるいはそれを再生産するためのもの──顕彰のための施設・モニュメント、儀礼や禁忌などの慣習的実践など──が生産される。
大多数の人びとがおそらく経験するであろうところの死。言うまでもなく、それは死するその人にとっての個々人の問題、個別的な限界状況であるが、同時にそれは、さまざまな人々・社会諸集団・あるいは諸制度などからの介入によって、社会的な「何か」を生産する場でもある。この場において個々人の限界状況は、さまざまな位相における限界状況へと接続を試みられ、あるいは社会的な意味──たとえば「慰霊すべき死者」「模範とすべき/すべきではない死」「共同体の守護者」など──が、あるいはそれを再生産するためのもの──顕彰のための施設・モニュメント、儀礼や禁忌などの慣習的実践など──が生産される。
さしあたってここでは、死という経験の場に対する介入と相克のダイナミズムを、「死をめぐるポリティクス」として考えてみたい。アジア民衆史研究会は2006年度、「死をめぐるポリティクス」という年間テーマのもと、死という経験を巡るさまざまな介入と相克、分裂と結合の複雑な様態を考察する。それを通じて、19世紀から20世紀にかけての東アジア地域における「民衆の世界観」の変容過程を考えるための糸口を探ってみたいと思う。
アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げた。このテーマのもと2001年度は民衆の世界観の一側面として「君主観」を検討した。
続いて「他者をめぐる空間認識」という問題を設定した。「民衆は自らの所属している空間をどのように捉えているのか」という問題設定のもと、2002年度は「自己と他者との関係の中における空間認識」を検討した。2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することができた。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。さらに2004年度は、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。
2005年度は世界観を創出する行為としての<語り>に注目し、特に東アジア地域共通の経験としてウェスタンインパクトについてのさまざまな<語り>を検討した。「<語り>が事実に符合するかどうか」という問いをいちど留保した上で、なぜそのような<語り>が生産されるのかを問うことによって、<語り>のエコノミーの相対的な自律性とその転移・再利用(佐々報告)あるいは再生産(山田報告)、<語り>を媒介とした社会認識の構築(青木報告)あるいは運動(杉山報告)を考察することができた。
しかしこのような成果を得ながらも、国民国家論の問題圏──多少の逸脱やせめぎあいはあったけれども、終極的には国民国家のイデオロギー編制に収斂するのだ──を踏み越えられたかどうか、やや心もとない。
近世・近代移行期においては、「終極的には」国民国家の権力装置とそのイデオロギーがヘゲモニーを握る、それは概ね確かなことだと言えるだろう。2006年度のテーマ「死をめぐるポリティクス」も一応はそれを前提としている。しかしここで検討したいのは、「終極」のやや手前の空間、死という出来事によって出現した、さまざまな力の接触と闘争の空間である。この空間への介入は複数の位相からやって来るため(死者の近親者という位相、所属していた地域・職業・信仰などの諸集団等)、「終極的には」支配的イデオロギーの主導の下に序列が形成されるとは言え、子細に観察すればその複雑かつ屈折したヘゲモニー闘争のダイナミズムを明らかにすることが出来るのではないか、そのような微細な闘争の集積はどこへ行くのか──これが本年度テーマの目論見である。
文責:佐野智規
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