スキップしてメイン コンテンツに移動

2007年度テーマ 老いをめぐるポリティクス:東アジアにおける民衆の世界観(7)

老いをめぐるポリティクス

アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を〈世界観〉として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。

このテーマのもと、2001年度は民衆の〈世界観〉の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。2004年度においては、移動の結果として起こる接触という場面から、どのような世界観が形成され、ないしは変容をとげたのかという問題をとりあげ、直接的には国家を意識していない民衆独自の空間認識の検討を試みた。2005年度は世界観を創出する行為としての〈語り〉に注目し、特に東アジア地域共通の経験としてウェスタンインパクトについてのさまざまな〈語り〉を検討し、〈語り〉のエコノミーの相対的な自律性とその転移・再利用あるいは再生産、〈語り〉を媒介とした社会認識の構築あるいは運動を考察することができた。

しかし、こうした成果を得る一方で、いくつかの課題も浮上してきた。

一つは、近世・近代移行期における多少の逸脱やせめぎあいも終局的には国民国家のイデオロギー編成に収斂するという、国民国家論の問題圏を越えられていないのではないか、ということ。いま一つは、民衆の世界観という問題を考えるにあたっては、観念形態だけではなく、具体的な事象からも接近しなければならないのではないか、ということである。

こうした点を踏まえ、2006年度は、19世紀から20世紀にかけての東アジア地域における「民衆の世界観」の変容過程を考えるための手がかりとして、「死をめぐるポリティクス」というテーマを掲げた。

「ポリティクス」の意図するところは、還元論的な議論に陥ることなく、近代に対する民衆の緊張関係を孕んだ対応として、身近で微細な権力・政治の闘争を観察すること。そして、その観察の中にマクロ・ポリティクスへの契機を見出すことにあった。一方で、分析対象として「死」を選んだのは、「死」が生を受けた者にとって必然であるがゆえに、民衆の世界観を構成する基礎となりうること。それはまた、すぐれて私的な出来事にもかかわらず、さまざまな権力が介入・相克する空間として想定されるためであった。

こうした観点で「死」という事象の検討を行なった結果、死者の葬り方や墓地のあり方などに対し、近世・近代移行期の権力が多様なかたちで介入し、地域社会や民衆との相克を孕みつつ、新たな変容を生じさせていく様相が明らかとなった。このことは、「死」にかぎらず、人々の多くが通過するライフコースの様々な場面において、同様の事態が起こっている可能性を私たちに予感させるものであった。そこで、今年度は昨年度の問題意識を引き継ぎつつ、ライフコースにおいて重要な位置を占める、民衆の「老い」の問題に光を当てたい。

人は誰しも老いる以上、社会が老いた人々をいかに処遇すべきかという問題は常に存在する。すなわち、「老い」は時代を問わず、多様な権力の介入を想起しうる問題として考えることができるのである。そもそも「老い」という概念は相対的なものであるから、何を「老い」の指標とし、どのような実践を行うのかは、家族や地域、国家など、「老い」を包摂するそれぞれの社会による。結果、定義される「老い」と実践(例えば扶養制度)とは多様なものとなり、しばしば干渉・相克することになるであろう。

それだけではなく、「老い」をめぐる概念や実践を背後で規定するところの「老い」に対する認識・価値観も、本来は、死への接近・衰退の過程であると同時に人生の成熟や到達点でもあるという、両義性を帯びたものであろう。近代産業社会の出現によって、「老い」はもっぱら否定的な価値へ転化されていったといわれる。それは、前近代の伝統的社会では、年長者の経験が「知恵」として大きな役割を果たしたのに対し、変動の激しい近代的社会においては、そうした経験はもはや役に立たないものと一蹴され、専ら「新しさ」=「若さ」に価値がおかれるようになる、という理解においてである。

「老い」の問題における近代の画期性をこのような価値観の変容によって示すことの妥当性自体、検討すべき問題であろうし、また、そのような変容がみられるにせよ、その過程は近代化の担い手や受容のあり方に即して、かつ、介入する諸権力の「老い」の実践をめぐる相克の中で、相互に影響しつつ展開されたはずである。それはいかなる様相をみせたのか。

宗教的規範や植民地化とのかかわりについても視野に納めつつ、「老いをめぐるポリティクス」という検討課題を通じて、東アジア地域における民衆の世界観の一端を提示したい。

文責:佐川享平

コメント

このブログの人気の投稿

2023年度第2回研究会(12/23)『アジア民衆史研究』28集【増刊号】「歴史的民主主義という問い」書評会へのおさそい

12月23日(土)、アジア民衆史研究会2023年度総会および第2回研究会を開催いたします。 会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 概要 日にち:12月23日(土) 時間:13:00~17:05 場所:早稲田大学早稲田キャンパス22号館5階508教室、およびオンライン開催(Zoomを使用します) 主催:アジア民衆史研究会 第2回研究会 『アジア民衆史研究』28集【増刊号】「歴史的民主主義という問い」書評会 報告者      富山仁貴 金富子 タイムスケジュール 13:00 開会挨拶、注意事項の説明 13:10 富山仁貴報告 14:00 金富子報告 15:00 総合討論 申込方法 申込にはGoogleフォームを使用します。参加を希望される方は、下記URLをクリックし、Googleフォームにメールアドレス等をご登録ください。 https://forms.gle/u4bsCAfgc57BqHtr7 2023年12月22日17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。申込は前々日12月21日(木)までにお済ませください。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。  

2024年度総会のご案内・第1回研究会(7/28)へのおさそい

7月28日(日)、アジア民衆史研究会2024年度総会および第1回研究会を開催いたします。 今回も会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 概要 日にち:2024年7月28日(日) 時間:11:00~12:00 総会、13:00~17:10 研究会 場所: 早稲田大学早稲田キャンパス22号館 5階 508教室、およびオンライン開催(Zoomを使用します) 主催:アジア民衆史研究会 総会次第 2023年度活動報告および2024年度活動計画 2023年度会計決算および2024年度会計予算 第1回研究会 報告者(タイトルは仮) 柳下草太「1910年代初頭における部落問題をめぐる政策と運動の相克──大和同志会の設立背景に着目して」 本報告は1910年代初頭において、府県レベルで実施された部落問題政策とその対象地域における部落解放運動がどのような関係を有していたのかを検討するものである。近代部落史研究は、当該期の部落解放運動について、被差別部落の低位性を改善することで差別からの解放を目指した自主的な部落改善運動が、内務省が主導する上からの部落問題政策に取り込まれていくといった歴史像を提示してきた。しかし、実際の運動がどのように政府主導の運動に再編されていくのか、政策実施以前からの運動と実施後の運動にはどのような差異が存在したのかといった具体的な運動と政策の関係については十分に明らかにされてこなかった。 そのため、本報告では政策実施以前から部落名望家層による自主的な改善運動が盛んであった奈良県を事例に、政策が運動の再編を図る過程とその帰結を明らかにする。そのうえで、政策をめぐる内務省と運動の相反が大正初年に登場した部落解放運動団体である大和同志会の設立を促した点を指摘する。また、全体を通じて、先行研究において使用されてきた自主的部落改善運動や融和運動といった当該期の部落解放運動を示す用語・概念の問題点について検討し、新たな分析枠組みを模索する。 相良海香子「明治・大正期の香椎宮」 旧官幣大社・香椎宮(福岡県福岡市東区香椎)は、古代には神功皇后や応神天皇を祀る「霊廟」として朝廷と強く結びつき、中世・近世には九州の武家や民衆から信仰を得るなど、国家や地域社会において重要な位置を占めていたことが明らかにされている。一方で近代の香椎宮に関しては

2023年度総会のご案内・第1回研究会(7/2)へのおさそい

 7月2日、アジア民衆史研究会2023年度総会および第1回研究会を開催いたします。 今回は会場・オンラインのハイブリットでの開催です。 ご参集のほど、よろしくお願いします。 概要 日にち:7月2日(日) 時間:11:30~12:00 総会、13:00~17:10 研究会 場所:早稲田大学早稲田キャンパス26号館(大隈タワー)302教室、およびオンライン開催(Zoomを使用します) 主催:アジア民衆史研究会 総会次第 2022年度活動報告および2023年度活動計画 2022年度会計決算および2023年度会計予算 第1回研究会 報告者(タイトルは仮)      柳啓明「旧慣温存政策下における八重山の共同体──調査と開墾にみる「旧慣」の強度」 高橋郁臣「「時局詐欺」と「非国民」排除」 小谷怜央「鹿地亘の朝鮮への視座──「亡命経験」における在中朝鮮人との交流と著作物を手がかりにして」 タイムスケジュール 13:00 開会挨拶、注意事項の説明 13:15 柳啓明報告 14:35 高橋郁臣報告 15:55 小谷怜央報告 申込方法 申込にはGoogleフォームを使用します。参加を希望される方は、下記URLをクリックし、Googleフォームにメールアドレス等をご登録ください。 総会への申し込み 総会は、会員のみご参加いただけます。 https://forms.gle/xDEiTpeNncDjxsSE8 研究会への申し込み どなたでもご参加いただけます。 https://forms.gle/JMZHYzCorpa3q65u5 2023年7月1日17時までに招待メールをお送りいたします。 注意事項 皆様の参加形態の事前把握のため、会場参加であっても事前申し込みをお願いします。申込は前々日 6月30日(金)までにお済ませください。なお、会場参加で申し込まれた場合でも、当日にオンライン参加に変更することは可能です。 会場となる 早稲田大学の感染防止対策 を遵守するよう、お願いいたします。 報告者の研究成果を剽窃するなど、研究倫理に反する行為を行わないことを求めます。 オンラインでのご参加にあたって ホストが認めた者以外の録音・録画は禁止となっています。 会の運営に支障をきたすと判断した場合、ホストの権限で強制退出させる場合がございます。